義
先日、大切な友人に直筆の書をいただき、キャンプ部屋に飾ってある。
武士道での中心かつ最も厳格な「義の精神」。武士はこの「義」を武士道精神の中心に据え、これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象となったそうです。
戦国時代、越後の龍「上杉謙信」、甲斐の虎「武田信玄」は、それぞれ天下統一を目指して勢力を拡大、隣国とぶつかり合うこととなる。かくして川中島で4度にわたる決戦が行われたが両者譲らず、結局は痛み分けとなる。一方で両者はそれぞれ互いにぶつからないルートで京都を目指した。上杉謙信は1559年に北陸ルートで上洛に成功。足利将軍義輝から関東管領を任じられた。一方の武田信玄は太平洋側からの東海ルートで都を目指すも、途中駿河の大大名今川氏と対立。ここで今川氏真は1567年8月、姻戚関係にあった相模国の北条氏康の協力を仰ぎ、甲斐へ向かう商人の往来を禁止する武田領内への「塩留め」を行った。このことで甲斐に塩が入らくなり、海を領土に持たない甲斐国では死活問題、領民達は非常に苦しんだという。これを聞いた謙信は、敵である信玄の窮状を哀れみ、一通の書状を送ったと言われる。
「私が貴公(信玄)と戦うのは弓矢であって、米や塩で戦っているのではない。これより先、塩が必要ならば我が国から供給しよう。」
また謙信は併せて、越後と甲斐で取引される塩が高価にならないようにしたとも言われている。「義」を重んじる謙信にとっては、いかに敵とはいえ窮状に陥ったときは助けるのが武士であり、弱みにつけ込み攻めるのは卑怯と考えたのである。これは対立を越えた謙信ならではの「義」の通し方として後世まで語り継がれている。
えっと、これらすべてネットで調べた事なんですけどね。(笑)
いい言葉です「義」。
これからも「義」を大切にしていきたいですね。
義といえば思い出すのは、南総里見八犬伝の仁義礼智忠信孝悌。むかしテレビでやってたよね。辻村ジュサブロウの人形を使った人形劇だったよなぁ見てたなぁ。「♪いざとなったら玉を出せ♪不思議なぁ~玉ぁ~を~♪」である。知ってる?
あなたにおススメの記事